587: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/12/05(水) 09:54:08.94
高校生の時に俺は硬式野球部だったんだが、一応県内トップ校で勉強も部活もとても力が入っていた。
俺は入学当初から成績もビリで1年次は仮進級、部活では下手くそで存在感も希薄だった。
2年の秋の大会が終わった直後、もう限界で学校を辞めたいとも思ったが部活を辞めて勉強することにした。
顧問に話しに行ったところ、1ヶ月考えて答えを出せと言われた。
当時10月だったのだが8月に進学校にあるまじき集団盗撮(20年ぶりに復活した修学旅行でいきなり1年がやらかした)があり
強制退部者が多数いて、夏の謹慎を乗り越えてやっとのことで少ない部員で臨んだ秋の大会の直後であった。
しかし、普段教室に部員が集まっても中に入るどころか顔を向けることもできないような俺は辞めることに対しては燃えていた。
1ヶ月が経過し、顧問にやはり辞めたい旨を伝えるとすぐに納得してくれた。だが最後に部員全員と話し合ってそれでも辞めたいなら辞めろと言われた。
普段喋ってもいない奴らと話し合いなど地獄だったが俺はその日を迎えた。
皆話は聞いていたようで、すぐに部室に集まった。俺のストレスは物凄かった。
およそ30対1の話し合いになり、まず俺が辞めたい理由を表明した。
その時に顔を歪ませながら「ベルトで自さつしようとした」だの「野球が嫌い」などと言ったのを覚えている。
それでも同級生や特に後輩部員は一人一人熱く声をかけてくれたが、どうでも良かった。
俺は入学当初から成績もビリで1年次は仮進級、部活では下手くそで存在感も希薄だった。
2年の秋の大会が終わった直後、もう限界で学校を辞めたいとも思ったが部活を辞めて勉強することにした。
顧問に話しに行ったところ、1ヶ月考えて答えを出せと言われた。
当時10月だったのだが8月に進学校にあるまじき集団盗撮(20年ぶりに復活した修学旅行でいきなり1年がやらかした)があり
強制退部者が多数いて、夏の謹慎を乗り越えてやっとのことで少ない部員で臨んだ秋の大会の直後であった。
しかし、普段教室に部員が集まっても中に入るどころか顔を向けることもできないような俺は辞めることに対しては燃えていた。
1ヶ月が経過し、顧問にやはり辞めたい旨を伝えるとすぐに納得してくれた。だが最後に部員全員と話し合ってそれでも辞めたいなら辞めろと言われた。
普段喋ってもいない奴らと話し合いなど地獄だったが俺はその日を迎えた。
皆話は聞いていたようで、すぐに部室に集まった。俺のストレスは物凄かった。
およそ30対1の話し合いになり、まず俺が辞めたい理由を表明した。
その時に顔を歪ませながら「ベルトで自さつしようとした」だの「野球が嫌い」などと言ったのを覚えている。
それでも同級生や特に後輩部員は一人一人熱く声をかけてくれたが、どうでも良かった。
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