キチママ警報 -キチママ・生活系まとめ-

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良い話

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605: 名無しさん@HOME 投稿日:2014/03/03(月) 09:31:43.15
義姉、義兄と結婚してからずっと専業主婦やってて
雰囲気がホワーンとした感じのおっとりした人。
マジで走ってる姿を見た事がなかったw
幼稚園から大学まで私立のエスカレーターで、実家は裕福。
今だから正直に言うけど、この義姉のことを羨ましく思う反面
どこか馬鹿にしてた。
ひとりじゃ生きていけないんだろうなーとか。
ところが結婚18年目に義姉の実父が急逝して初めて分かった実家の借金。
会社の後を継いだお兄さんがなんやかや頑張ってるみたいだけど
当然義姉は相続放棄するしかなかったし、今後実家を頼ることもできない。
で、それから半年もしないうちに義兄までもが交通事故であっけなく他界。
私たちも義父母も、義姉と姪がこれからどうするんだろうと心配したけど
そこからの義姉の姿はすごかった。
当時娘(夫の姪)は高校生だったけど
「進学のことは心配しなくていいから。ただし一発合格ね!」と言いながら
一週間だけ夫実家に預けて家を空けた。
戻ってきたときにはカルチャースクールの講師と病院の調理スタッフの就職を決めていた。
義兄の保険金は進学費用に充てて、貯金もあるし、日々の生活分だけ稼げば大丈夫よって
カラカラ笑ってた。
その言葉通りバリバリ働き、義実家や私たちに愚痴をこぼすことも
もちろん頼ってくることもなかった。
娘も母親の姿を見て気合が入ったのか、国立を現役合格した。
昨年無事に内定をもらい、就職先も決まり義姉もホッと一息って感じらしい。
先日久しぶりのその義姉と義母と3人でランチする機会があったんだけど
やっぱり時々は夫のことを思い出して泣いたこともあったそうな。
でもとにかく夢中だったって。
話を聞いてて、その人の本当の強さってこういう時に出るんだなとか
昔、ちょっとでも馬鹿にしててゴメンとか、色んなことを思った。
いざという時、義姉みたいに強くありたいな。

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949: 名無しさん@HOME 投稿日:2014/03/29(土) 16:28:26.49
私は義弟嫁に物凄く感謝してる。
数年前、私が旦那の転勤、仕事復帰や子育てへの無理解、
小さな子供2人抱えての初めての東京(私は田舎育ち)、
経済的な問題・・・などなどで離婚を考えるまで悩んでいた時、
就職するきっかけをくれたのが義弟嫁だった。
今はその時からは考えられないくらい充実してる。

義弟嫁は「何もしてない。儀兄嫁さんががんばっただけ」って
言ってるけど、私は本当に感謝してるんだ。

先日、義実家で久しぶりに会った時、
4月から契約社員に昇格することを話したら
ものすごく喜んでくれた。
旦那が「ふーん」みたいな感じだっただけに、
むちゃくちゃうれしかったよ。

義弟と結婚する前の顔合わせの時から、
美人で都会育ちでオシャレで高学歴、高収入でコミュ力もある
義弟嫁に、私はコンプレックスを持ってたけど、
色眼鏡はずした今は、義弟嫁の周りに人が集まる意味が分かるよ。

お土産と社員への昇格祝い兼ねて、といって
義弟家から高そうなワインが届いたのでうれしくて書き込みさせてもらいました。

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226: 名無しさん@HOME 投稿日:2009/12/14(月) 22:15:27
帯だの帯止めだので思い出した。
私、曾お婆さん子で、小学校6年の時に曾婆さんが亡くなるまでは
曾婆さんが母代わりで育った。で、確か小学校3,4年の時の
工作の授業で、七宝焼きを作ることになったんだけど、
曾婆さんのために簡単な帯止め風なものを作ったわけです。

まあ要するに曾婆さんは拙い作品でも、可愛い曾孫の作った物を
大切に取って置いた→時の経つ内、婆さん、母と受け継ぐ間に
何故か「あの曾婆が大切にしてた位だから」と妙な誤変換がなされていった→
時が流れ、私は結婚して懐かしい七宝焼きを再び入手した→
個人的にはとても大切なものなので感激した→
価値のあるものだ!と勝手に勘違いした小姑(夫の姉)がその
駄作七宝を持ち出し、売ろうとした→当然値は付かず。
で、「なんでよ!高いものじゃなかったの!!話が違う!」と大騒ぎな感じで
まさに、「自爆乙」だったなぁ。

どう見たって、きったない椿くずれのもやもやみたいな七宝モドキなんだけどねぇ。

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84: おさかなくわえた名無しさん 2011/09/28 04:45:02 ID:wFMIgh2D
姉の武勇伝を一つ。
一個上の姉は病弱。昔っから喘息の発作やらなんやらで幼少の頃は泣きながら病院に運ばれるイメージしかなかった。
そんな中でのお話。
姉とは違い健康優良児な私は毎日外で遊び回ってた。
たまたま姉の体調が良く私の遊びに付いてきて一緒に公園で遊んでた。
私は公園友達たくさんいたんで途中から姉をほっといて遊んでた。姉はベンチでニコニコしながらそれを眺めてた。たまに「ねーちゃーん」てブランコ乗りながら、ジャングルジム乗りながら手を振って姉も嬉しそうに手をふりかえしてた。

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538: おさかなくわえた名無しさん 2011/10/08 12:20:00 ID:5pP2rRjY
たまには毛色の違う武勇伝も。コールセンターの女性を泣かせてやった話です。

みなさん、朝食は普通パンやごはんを食べられる方が多いのではないかと思いますが、
私はちょっと特殊で、毎日餅を焼いて食べています。真夏でも真冬でもです。
切り餅2kgのお徳用パックなんかを買って、大体毎朝4切れくらい食べているのですが、
磯辺焼きは本当に美味しくて、10年近く食べていますがまったく飽きる気がしないです。

ある朝、「こんなに美味しいものを毎日食べさせてもらっているのだから、
メーカーに感謝の気持ちを伝えなければ!」と唐突に思いたったので、
袋に印刷されているお客様相談センターに電話しました。応対は若い声の女性でした。

コールセンター「はい、~~お客様相談センターです」
私「お忙しいところすみません。いつも御社の餅を食べさせてもらっています」
コ「ありがとうございます」
私「もう毎日のように美味しいお餅が食べられて、本当に感謝しています」
コ「(早く要件を言えよ、的な雰囲気で)こちらこそありがとうございます」
私「もう何年も食べ続けているんですが、これからも買い続けていきたいと思っています」
コ「お客様にそういっていただければ何よりです(そろそろ要件が来ると身構えている感じ)」
私「私の感謝の言葉を、どうか現場の方々にもお伝えください。お忙しいところありがとうございました」

コ「え…えっ!お客様、それだけですか!?」(本当にそういわれたw)

私「ええ、本当に美味しくて感謝しているので、その声をお伝えしたくて…」
コ「あ…ありがとうございます(完全な涙声)」
私「これからもよろしくお願いします(泣くとは思ってなかったからビビる)」
コ「あ、お客様!現場にお伝えしますので、どうかお名前を教えていただけないでしょうか?」
私「ええ、横浜に住む○○と申します。よろしくお伝えください」
コ「本当にありがとうございました。どうぞ今後ともごひいきにお願いします」

きっとつらいことの多い職場なんだろうなあ、と思いつつ、やっぱり電話して良かったと思いました。
個人的には、それから1週間くらい胸がスーッとしました

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612: おさかなくわえた名無しさん 2012/01/25 16:25:16 ID:B4Lv89cw
仕事暇なので投下。
自分が直接やった武勇伝じゃないけど・・・

北東北在住なんだけど、先日夜に家の近くのコンビニに行った帰り、
軽トラが道の脇に横転してた。おそらく雪でハンドルを取られ
道路脇に高く積んである雪に乗り上げそのまま横転したと思われる。

自分の車の前に3台走ってたが、みんな見事にスルー。
運転手と思われる60後半くらいのじいちゃんが一人で必死に起こそうとしてた。
みんな薄情だなーと思いつつ止まり、起こすのを手伝った。
けどじいちゃんと二人、しかも道路は圧雪でツルッツル、踏ん張りも利かず、
持ち上げられそうになかったので助けを呼ぶことに。

自分の家の近所には自衛隊の官舎があり、友人もいるので電話で状況を話したら
すぐ来てくれるとのこと。
待つこと10分、きっちり並んで綺麗に揃った駆け足で友人含む3名が颯爽と登場した。

到着から2~3分の早業で軽トラは救助され、じいちゃんがすごい感謝してお礼を言いながら
謝礼?かなにか渡そうと財布を手に取った瞬間、友人が「状況終了!」と一言。
残りの2名が「ラジャー!(レンジャー?)」と言ってまた綺麗に揃った駆け足で帰っていった。
じいちゃん最初は呆然と見送ってたんだけど、気づいたら直立不動の敬礼してた。
俺もなんか渡されそうになったんで「いいからいいから、気をつけてねー」と言いつつ
逃げるように帰った。

うちは自営業でマッサージ(いかがわしいのじゃない)やってて、友人も常連なので
今度店にきたら念入りにマッサージしてあげるから存分に癒されていくがよい。

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485: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2012/11/19(月) 21:34:55.90 ID:FO+bB9pl
自分が母の実の子でないと知ったときが修羅場だった。
姉妹のうち、私が一番母に似ているので養子の話も「お姉ちゃんと間違えてない!?」と。
末っ子なんだけど、ずっと次女とは双子だと思って育ってきた。
考えてみれば、一週間も誕生日の違う双子がいるかい!という感じなのだけど
「あんたはいつまでもお母さんのお腹から出たがらなかったのよ」という母の言葉を信じてたw

実際に私は、父の妹の娘。
実の両親は私が生まれて3ヶ月で事故タヒ。
父方の祖父母は高齢で、とても乳飲み子を抱えて生活できるような状況ではなかったので
かわいそうだが施設に預けて里子に…という話になったのだが、そこで母が
「うちで引き取ればいいじゃない。双子ってことで。おっぱ●二つあるんだから大丈夫よ」と言ってくれたらしい。
事実を告げられてから泣いて泣いて悩んだけど、特に何が変わるわけでもなかったので、一週間で吹っ切れた。

同じ月齢の子供を抱えている今、母の決断がどれだけ大変なものだったかよくわかる。
母にとっては20年間、私以上の修羅場だったと思う。

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348: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:26:08 ID:VFI
娘が去年お嫁に行った。
娘は元夫の先妻さんが産んだ子で、私とは血がつながっていない。
元夫とは見合いで結婚した。当時娘2歳。
>>6年後離婚。元夫がいらないと言うので私が引き取って養子にした。

本当は二十歳の誕生日、「実の娘じゃないのよ」と打ち明ける予定だった。
でも忘れてた。
忘れるか?!と思うだろうけど、誕生祝いとか成人式の振袖の手配等で浮かれまくって忘却の彼方だった。
成人式当日は写真館に行ったり、会館に送っていったりでやっぱり浮かれていて忘れた。

一週間後くらいに思い出した。
「お嫁に行く時こそ忘れずに言おう」と決心した。
でもやっぱり忘れた。
式の手配とか色々バタバタしてて、明日嫁ぎます、という実家最後の日は
「お疲れー!」「マジお疲れー!」というテンションになってしまい
まったく思い出さなかった。

オチとしては、娘は大学生の時戸籍を取り寄せる用事があったとかで
その時養子縁組の記載を見たらしい。
私と同じく何かの節目に「実は見たの…」とやるつもりだったらしいが
やはり忘れた、との事。
血はつながってないのに、長年いっしょに暮らすと似ていくものです。

余談だけどなぜか元夫から、今年になって
「娘の花嫁姿が見たい」「せめて写真だけでも」という葉書が私の実家に届いた。
一応結婚するって決まった時連絡したんだけどな。
でも「金なら出さない。俺の人生に関わってくるな」って返事だった。
あの後何があったんだろう。
いやな予感しかしないから無視しますw

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244: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/10/15(火) 11:02:06.80
小学校高学年に母が病気で他界。
父子家庭になり、中学に上がった頃に父も。
父は身寄りがなく、母は結婚反対されて駆け落ちしたらしく親族と絶縁状態
連絡つかず。
母と同郷の近所のご夫婦が、アパートの始末から何から何まで全部してくれました。
孤児ということで、そのご夫婦が役所に相談するも、身寄りのない子が行く
施設を紹介するだけで親族を探すことには全く協力してくれなくて
自分はどうなってしまうのか、追い出されたらどうしようとか
とても不安だったのが修羅場でした。

同郷という事で、親近感もあり、母とそのご夫婦は、お互いに好感を持って
接していたけど、お裾分けしあったり、会えば立ち話する程度の間柄だったみたい。
その程度の付き合いだったのに、学校もそこから通わせてくれ、本当に良くして
貰い、感謝の念でいっぱいです。

施設に預けるのは忍びない、預けるのは見つからなかった時に考えるとのことで
親族捜索は、そこのおじさんが県人会の人を片っ端からあたって、
母の実家を見つけてくれました。約一年、お世話になりました。
今は、子供さんも独立されたので故郷に戻って来られ、車で一時間程の所に住んで
おられるので、しょっちゅう行き来しています。

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81: 名無しさん@HOME 投稿日:2008/09/13(土) 23:53:43
ウチの祖父母も子沢山の膿家育ち。
祖父は貧乏膿家の17人兄妹の真ん中、背も高いしすごいハンサム。
祖母はちょっとは裕福な膿家の13人兄妹の末の方、孫だから言うが外見かなり微妙。
出会ってすぐにお互い好きになって、結婚しよう!となったらしいんだけど
祖父実家は「お前は美男子だから、もっと金持ちの家に婿入りさせる(寄生する気満々)」
祖母実家は「お前みたいなブ○にあんな二枚目はおかしい、金目当てに違いない」
「お前みたいなブ○は顔が悪い分よく働くから、(働き手として)嫁に欲しいって家は他にもある」
お互いの実家に反対されつつも駆け落ち同然で強行突破。
ところが折悪しく戦争で祖父が国外へ出征、終戦後もなかなか帰ってこなかった(抑留されてた)
ひたすら祖父を待つ祖母を、祖母実家は「絶対タヒんでるからさっさと再婚しろ」と追い詰め
「ブ○で再婚でも馬車馬のように働くなら、貰ってやってもいい」と祖母実家公認で、近所の膿家男に夜這いをかけられ(未遂)
唯一の理解者だった祖母姉の婚家の納屋に匿ってもらった。
1年以上他人様の納屋で寝起きした頃、ようやく祖父が帰ってきてめでたしめでたし。

祖父母は孫から見てもすごく仲が良くて、一緒に映画に行ったり
祖父が出掛けると必ず祖母の好物を買ってきたり、幸せそうだったよ。
祖父はもう何年も前に他界したんだけど、時々祖母が
「私ばかり長生きしたら、おじいさんあの世で私のこと分からないだろうなあ」
「おじいさんの遺影は若々しくてカッコいいけど、私の遺影だけシワシワなのは嫌だなあ」と言っていた。
先日その祖母が他界。祖母の女心を汲んで、遺影は祖父が他界した年の写真にした。
貧乏膿家子沢山の話のつもりだったんだけど、辛気臭くなった。ごめん。

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