キチママ警報 -キチママ・生活系まとめ-

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祖父

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546: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/01/07(土) 22:56:42.55
最大?なのに小さな修羅場。

私が中学に入ってすぐのころ、一族の誰もが一番長生きすると予想していた祖父がタヒんだ。
しかも深夜のお風呂の中で、溺タヒでも心臓麻痺でも脳卒中でもなんでもなく突然に。
外国の船上でタヒんだ上、タヒ因も不明だったから手続きが面倒で、中々葬式が出来なかった。
祖父と同室だった祖父友人は何の異変も無かったと言っていたから、納得いかないけど大往生かなって言われてた
んで、葬式の前日父と祖母が今で祖父について語っていたら(私は宿題してた)
祖母「おじいちゃんと同室だった○○さんがね、言ってたの。おじいちゃんが浴室に入ってしばらくしてがたんって音がした気がしたって。」
おじいちゃん苦しかったのかしら・・・とか涙目の祖母に父驚愕
父「○○さんは異変なんてなかったって言ったじゃないか!」
祖母「こそっと教えてくれたのよ!それよりおじいちゃんが可哀想だと思わないの!?」
父「いやそれ犯罪だよ!だって父さん(祖父)を○○さんは見杀殳しにしたかもしれないんだろ!?」
私は父親の超理論と怒声に呆れて部屋を出たんだが、その後も父と祖母はかなり言い争ってたらしい。
最終的に父は我が家の金で○○さんを訴えようとしたけど、そんな金も時間も義理も無い私&母で止めた。
母曰く「人タヒにに遭遇した人は『後から考えたらあの時じゃ!』って思考に陥りやすい。
    ○○さんも当時は気にも留めなかったことが今になって気になりだしたんだよ。」
○○さんも当時寝惚けてたんだろうし余計なことを言わないで欲しいが、
てめぇの夢()による失業のせいで極貧な我が家が裁判費用を出せると勘違いしていた父親にも軽く杀殳意が沸いた春の日だった。

 
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923: 名無しさん@HOME 投稿日:2011/10/31(月) 18:27:56.34
自分の修羅場思い出したんで書いてみる。
もう20年以上前の話だ。

当時俺は中学生、たまたま部活を休んでいたんだ。
そうしたら室内火災報知機がけたたましくなってじいちゃんの部屋がボヤになってた。
原因はじいちゃんの寝たばこ。
寝たばこが癖で何度言ってもやめないから(つーか体が動かなくなってたのに煙草
吸ってたからね)危ないってんで当時はまだほとんど知られていなかった室内火災
報知機をつけてた。

いろいろあって結局じいちゃんは無くなったんだが、その「いろいろ」のことを警察と消防に
何度も同じ質問受けたよ。

その日は親父もいたんだが動転して役に立たず、消火から救急車呼んで病院に付き添
ったのは俺だから、一番事情に詳しい同じ質問を日を変え場所を変え本当に何度も受けた。

その間はけっこう修羅場だった、葬式もあるし片付けもあるし事情聴取はあるし。
不幸中の幸いは建物、部屋は一切焼けなかったことだけど、それがまた憶測を呼んだ。

後から知ったんだが、どうも警察は状況から保険金杀殳人を疑ったらしい。
ただ、じいちゃんは昔保険屋さんと大ゲンカして生命保険一銭もかけてなかったそうで
それが決めてでようやく警察も事故と判断したんだそうだ。

ただ、中学生の俺にその容疑の一端がかけられてたことを知った時が一番の修羅場だった。

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672: 名無しさん@HOME 投稿日:2011/10/28(金) 00:25:10.30
出遅れ葬式ネタでひとつ。

父実家にて。その日は通夜だった。亡くなったのが年寄りだったので悲壮感
が薄くただガヤガヤしていた。
学生だった私もお茶出しに駆り出され、お盆持って行ったり来たり。
人がひけ始めたころ廊下で祖父とすれ違った。

……そのじーちゃんの通夜だよ今日は!!!

正体は大叔父(祖父弟)。元々似ていたが年取ったら禿具合まで全く一緒。
私の父をはじめ二人の実子達は見分けられるが実子の配偶者達は誰も見分け
られない。祖父と同居だった伯父嫁と従兄たちさえも。
親戚付き合いの薄い一族なのでそっくりっぷりを初めて目の当たりにした人
も多く、案の定翌日の告別式にかけてあちこちでプチ修羅場になっていたら
しい。

大叔父は形見に「じじいの自慢の自転車」(マウンテンバイク)を貰って帰った。
それで遠乗りしても父実家周辺には来ないで欲しいと思った。

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768: 名無しさん@HOME 投稿日:2011/10/02(日) 14:00:34.53
祖父のせいで私が修羅場だった話です

中国に興味があった祖父はある時、親戚の大学教授たちとみんなで中国旅行に行った
そこで好奇心から色々やらかした(内容は同行者語らず。ただハプニングがあったとだけ帰国後、聞いた)おかげで、ある上品な老人と友達になった
滞在中はその老人が色々な場所を案内してくれて、祖父には非常に有意義な旅だったらしい
帰国する時に
「二人の友情に」
と古い中国の貨幣をもらい、それをループタイの飾りにして大事にしていた

念願の旅行に行ってからますます中国が好きになった祖父
が、たびたび行くのは家族もいい顔をしない
そこで妥協で横浜の中華街に行こうと思い付いた
しかし一人では家族が納得しないから、と三国志が大好きな中学生の私を同道させることにした
「孫子も三国志が好きならば中国というものを肌で感じさせてやらなければ。しかし海外に行かせるのは心配だと分かっている。だから横浜ならば安心だろうが」
という訳の分からない理由で、思い立ったその日に私は新幹線に乗せられていた

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630: 名無しさん@HOME 投稿日:2009/11/17(火) 11:49:06
別棟で義祖父、義父母と同居する2児の長男の嫁です。
未だに現役、家での権力も金も持ってる義祖父にたかる小姑たちが憎くて仕方ありません。
また口先だけは「嫁優先」を言ってますが、小姑の肩を持ち爺さんからの出資を
後押しする義父母たちに腹を立てています。

今に始ったことではありませんが、爺さんは、義母の思うがままになのです。
そして小姑が子連れ(外ひ孫)でやってくると、これまたホイホイといつもは重い腰を上げて、
買い物やうちらに内緒で旅行にも連れていく現状です。
家での私のグチに耐えかねた夫が何ども母家に言いに行くも、あっけなく小姑達の肩を持たれ、
お祖父さんにも悪印象を持たれ、5年間わが家は家を出て暮らしていた事もあります。

ますます図にのる小姑達。そしてそれを微笑ましく見守る義母。
真っ向から対立しても過去の二の舞なので・・・。
このまま小姑達に「おいしい何処取り」されるのを黙ってみるしか、
嫌な思いを耐え忍ぶしかないのでしょうか。

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301: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2010/07/27(火) 17:53:53 ID:JMgT3mms
戦中派の武勇伝もう一つ投下

既に故人だが、友人の爺さんの話。
ニューギニアだかどこか南の方に出征していたそうなんだが、小さな部隊で
通信兵やっていて、幸か不幸か終戦まで米兵と鉢合わせしたことはなかった
そうな。だけど毎日定期便で米軍の偵察機がやってくるんで、その度に隠れて
やり過ごしていたものの、まだ食料も尽きず、血気盛んな頃だったので、
だんだん腹が立ってきたんだそうだ。

それである日爺さんの戦友が毎日定時にやってくる敵機に三八で一発撃った
そうだけど、まるで当たらず、敵機も気づかず。
それを見た爺さんが「だらしない、空飛んでる奴の狙い方を教えてやる!」
と翌日、今度は爺さんが三八で一発。どうやら見事に当たったらしく、
エンジンから細い煙が出たまま飛び去って行ったそうだ。

そして翌日もそのまた翌日も、米軍の偵察機は現れなかったとか。
報復が怖くなった小隊長の指示で、すぐに陣地を移動したそうだが、
結局終戦まで敵機を見ることもなくなったとか。

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753: 名無しさん@HOME 投稿日:2011/03/02(水) 21:01:44.50
大学3年の時、ゼミで勉強会があった時に私の発表前に祖父が危篤という連絡が携帯にあった
地方なので間に合うはずもなく、祖父は昏睡状態になる前に
「しっかり勉強しろ」
と言っていたらしく、とにかく発表が終わったら急いで帰ることにした
ところがその発表が同席していた院生の質問攻めに合い、それに答えつつも早く帰りたくて半分泣いていた
やっと発表も終わり急いで帰ろうと思っていたら、院生が私が泣いているのは自分のせいだ、と思い謝り始めた
こっちはそんなことどうでもよく、泣きながら
「うるさい!!」
とその場を後にした

葬式には参加出来、何とか落ち着いたので大学に戻ると、とんでもない噂が立っていた
私が妊娠し相手は勉強会で突っ込んだ院生
認知してくれないことに私が涙し、院生が必タヒになって弁解
それに私が反発して泣きながら走り去った

もちろん嘘だが、問題はこの話が教授たちにまで広まったこと
おかげで院生は教授会議にかけられ、遂には学部内の教授全員の取り調べを受けたらしい

その院生のせいで、東京駅で1時間半、地元に止まる新幹線を待つ羽目に遭い、しかも後少し早ければ・・だった私は「もっとひどい目に遭わせたい!!」と怨みに思った
だが、友人から院生が事情を知ってものすごく苦しんでいたことを聞き、その話は嘘だと証言し彼は無事お解き放ちとなった

ちなみに後にその院生は自責の念から病気になり長期入院をすることとなった

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928: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/04/17(水) 22:44:32.07
修羅場っていう修羅場じゃないけど投下

私は幼稚園年少の頃、よく近所の祖父母の家に預けられていた。
祖父母は、叔父夫婦と同居していたので、10歳年上と3歳年上の従姉妹がいた。
私は3歳上の従姉妹が大好きで、鴨のヒナのように後ろを付いて歩き、平仮名などをよく教わっていた。

ある日、従姉妹といつものように遊んでいると、突然従姉妹が立ち上がり、
「新聞を読まなくちゃ!」
と叫んだ。話を聞いてみると、どうやら新聞を読むという宿題がでたらしい。
私たちはすぐ祖父のもとへ行き、小学1年生でも読めるような記事を探してもらった。
祖父は平仮名の多い記事を見せてくれて、私たちは二人でその記事を読み上げた。
私はたくさんの平仮名を読むことができて、すごく誇らしかったのを覚えている。

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118: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/08/22(水) 22:30:11.07
数年前、祖父はのどに餅を詰まらせてタヒんだ。
祖父はタヒぬ前に何回か餅を食べては詰まらせるということを繰り返していて
親戚一同から食べるのはやめろと言われていたのにもかかわらず食べ続けていた。
まぁこれにも理由があるんだけど、祖父の○回忌の時に祖母がポツリと
「本当に餅を詰まらせてタヒぬなんて。本番の時はタヒななかったのに練習でタヒぬなんて。本当にダメな男だった」
とつぶやいた。
聞いていたのは自分と両親と伯父。
母は顔を真っ青にしたかと思うと号泣しながら祖母の顔を思い切り平手打ち。
慌てて自分と父で止めるも今度は伯父が祖母に平手打ち。
老人相手に手を挙げるのは間違ってると父が言うと伯父は
「こんな奴の肩を持つのか!」と父を殴った。
テーブルのそばで暴れてくれるもんだからテーブルの上にあったものは全て落ちた。
周りの物も被害が多少出た。
騒ぎを聞きつけた兄に祖母を任せて、外でチビ達と遊んでいた従姉と伯母と私で部屋の片づけ。
その後子供たちは家に帰させられ、両親と伯父と伯母で祖母の家で話し合い。
それからは何があったか知らないけど、祖母とは一度も会っていないし、その話すら禁句みたいになっている。

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733: おさかなくわえた名無しさん
投稿日:2013/08/17(土) 19:06:52.56 ID:274pfamI
軍人つながりで俺も個人的なプチ修羅場を

俺の爺ちゃん90歳目前なんだが、去年の暮れに体調崩して一時的にボケが酷くなった(今は元に戻ってる)
ちょうどその頃尖閣問題でメディアが沸いていたからか、寝かせようとすると「電気を消しなさい、爆撃機が来る」とか
「アメリカと戦争が始まる、勝ち目は無いがやらなければいけない」など、記憶が第二次大戦前後に飛ぶようになった
戦争以外でも「今日は○○(県庁所在地、ウチの住所ではない)に行ったらダメ、賃上げデモがあるから危ない」
などと言うので調べてみたら   本   当   に   その記録があった

そんなこんなである程度慣れ、元気になってくれるかねと思いつつその日も爺ちゃんを寝かせようとしたら

「俺くん、庭に爺ちゃんを捕まえに来た奴のタヒ体があるから、臭わないように物置に隠さないといけない」

と言った
ウチの爺ちゃんは陸軍だったが、戦闘に直接関わる任務ではない+任地はずっと本土だったから敵と交戦してるはずがない
ボケてはいたが記憶の内容は実際に経験したことばかりだったから妄想だとも考え難い(爆撃機云々は本当に大空襲があった)
じゃあ爺ちゃんが殺した奴ってのは一体何者だ?と顔には出さなかったが内心パニックになった
その時は俺一人で爺ちゃんを世話してたので、家族にはそのことをまだ話していない

これが1つ目の修羅場
2つ目は、↑を終戦記念日に書こうと思ってたら食中毒でぶっ倒れて頭を強打、生まれて初めて救急搬送
ぶっ倒れる瞬間を偶然見ていた両親と爺ちゃんが大変心配したという情けない修羅場w

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