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盲腸

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638: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/01/24(火) 15:00:42.27
グロ注意

頻繁にお腹が痛くなるので病院に行くものの、便秘だ下痢だと診断され続け
終いには「学校に行きたくないんでしょ」と言われた。
「行かなくて良いのなら行きたくないですわー」と答えたら学校に連絡されたか何かで
危うく不登校扱いされるところだった(医者が校医だった)
比較的優等生だったので先生たちに初めて詰め寄られたのが修羅場その1。

この騒ぎから一週間もしないうちに学校で倒れ救急車で大きな病院に運ばれた。
「盲腸です。破裂寸前だけど病院行かなかったの?」と物凄い勢いで説教された。
翌日手術だったんだけど、局部麻酔だったせいで
「今からお腹切るからね」「お腹の中に手を入れるからね」と医者に実況されたり
前日からご飯を抜いてるせいで吐きたくても吐けない状況だったり
最後に「これ、君の盲腸」と目の前に突きつけられたりとなかなかの修羅場だった。
マスクしてるのに物凄い笑顔なのが分かったよ…。

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574: 名無しさん@HOME 投稿日:2011/11/25(金) 18:59:26.72
麻酔で思い出した話。
小学6年の頃、図書館の本で初めて盲腸の存在を知り、そういえば
この本みたいにおへその右下が時々痛いかなーと思いつつも本みたいに
激痛にのたまうほどではなかったんで放置。

中学生になりあれ?これ激痛って程じゃないけど確実にいたいよね?
と学校を早退し学校近くの病院に行くが藪だったのか血を抜いて
痛み止めの点滴だけで終わった。

痛いけど我慢できる・・・?いや出来ない・・・?というような曖昧な
痛みを抱えていた矢先に弟が急性の盲腸で入院。
何となく言い出せなくなり我慢しだす。
しかし3日ほどで我慢できなくなり、親に泣きつき、別の病院で
見てもらうとやはり盲腸。切った方がいいと言われたが、中間テスト
1週間前だったため、親の願いで、テストが終わるまで毎日痛み止めの
点滴をすることになった。

テスト終了後速やかに手術が執り行われ、局部麻酔を希望したんだが
手術台の上のライト?が光った記憶を最後に、気が付いたら別の部屋で
寝ていて、口には酸素マスクや点滴がされていて、両端には両親が
泣きながら控えていて「ごめんねごめんね!」と叫んでいて自分ぽかーん。

なんでも自分は腹膜炎を起こしかけてたうえ、点滴で痛みを抑えていた
せいか、膿だか水だかが腹にたまっていて、後一日手術が遅かったら
確実にタヒんでたとかで自分gkbl。これは自分も悪いんだが、普段から
仮病を使って学校を休みたがった子だったので、親はあまり盲腸というのを
信じてなかったらしい。それでも親は罪悪感で一杯だったので
当時出たばかりのスーファミかって貰うことでチャラにした事が自分的修羅場。。

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129: 名無しの心子知らず 2009/07/25 01:02:46 ID:lXu/mIgP
「過去のことだ」とようやく思えるようになったので投下。
長文です。

A母=私。人情溢れる都会の下町住まい。幼稚園男児(A男)持ち専業。
B母=近所に住む、A男と同じ幼稚園の男児(B男b男)ふたり持ち。大学病院に勤める女医さん。
C母=近所に住む、A男と同じ幼稚園の女児(C子)ひとり持ち。専業。パチンカス(事実)ホスト通い(噂)など、あまり評判がよくない。
私以外はふたりとも、実家も近くてこの街に住んで長いチャキチャキの関西人。

いつも忙しいB母が、久し振りにちょっと長めの休暇(といっても一週間足らず)を取ったというのでお呼ばれして遊びに行った。
明るくて穏和、街の人からも幼稚園ママたちからも園児からも人気者のB母の家には
いろんな人が入れ代わり立ち代わりで、ちょっとしたパーティ状態。
海外暮らしの経験もあって、そういった雰囲気が大好きなB母はとても楽しそうで、夕方近くになってようやくお開き。
一番近いし、一番長くいたしと残った私とB母で後片付けをしていると、突然C母とC子がやってきた。
C子は引っ込み思案の優しい子だが、C母が町中の鼻つまみ者。
呼んでもないのにお茶の時間に誰かの家に皆集まっていると聞きつけては押しかけて
茶菓子やお茶どころか夕飯、明日の朝ごはんのおかずまで持ち帰ろうとするのは日常茶飯事。
C子が幼稚園に上がって交友範囲(というか顔を知っている人の数)が増えてトラブルも増えてから、皆が警戒し始めたからか
この頃は集まりの終わりを狙っておこぼれをかっさらおうとすることが多かったような気がする。
この日も「なんで私も呼んでくれんの!C子だけ仲間はずれとかかわいそう!お菓子とか私の分早くちょうだい、あと薬。お腹痛いとか言い出して~」
と言いながら入ってこようとしたんだけれど、引き摺られるようにして引っ張り込まれたC子の顔を見てあぜん。
顔色が尋常じゃなかった。土気色を通り越して、黄色がかった白い異常な色だった。素人目に見ても絶対におかしい色。
喉をヒューヒュー鳴らして、どうやら痛くて泣きたいらしいけれど、その体力もないのか泣けないほど痛いのか、とにかく異常。

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638: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/01/24(火) 15:00:42.27
グロ注意

頻繁にお腹が痛くなるので病院に行くものの、便秘だ下痢だと診断され続け
終いには「学校に行きたくないんでしょ」と言われた。
「行かなくて良いのなら行きたくないですわー」と答えたら学校に連絡されたか何かで
危うく不登校扱いされるところだった(医者が校医だった)
比較的優等生だったので先生たちに初めて詰め寄られたのが修羅場その1。

この騒ぎから一週間もしないうちに学校で倒れ救急車で大きな病院に運ばれた。
「盲腸です。破裂寸前だけど病院行かなかったの?」と物凄い勢いで説教された。
翌日手術だったんだけど、局部麻酔だったせいで
「今からお腹切るからね」「お腹の中に手を入れるからね」と医者に実況されたり
前日からご飯を抜いてるせいで吐きたくても吐けない状況だったり
最後に「これ、君の盲腸」と目の前に突きつけられたりとなかなかの修羅場だった。
マスクしてるのに物凄い笑顔なのが分かったよ…。

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574: 名無しさん@HOME 投稿日:2011/11/25(金) 18:59:26.72
麻酔で思い出した話。
小学6年の頃、図書館の本で初めて盲腸の存在を知り、そういえば
この本みたいにおへその右下が時々痛いかなーと思いつつも本みたいに
激痛にのたまうほどではなかったんで放置。

中学生になりあれ?これ激痛って程じゃないけど確実にいたいよね?
と学校を早退し学校近くの病院に行くが藪だったのか血を抜いて
痛み止めの点滴だけで終わった。

痛いけど我慢できる・・・?いや出来ない・・・?というような曖昧な
痛みを抱えていた矢先に弟が急性の盲腸で入院。
何となく言い出せなくなり我慢しだす。
しかし3日ほどで我慢できなくなり、親に泣きつき、別の病院で
見てもらうとやはり盲腸。切った方がいいと言われたが、中間テスト
1週間前だったため、親の願いで、テストが終わるまで毎日痛み止めの
点滴をすることになった。

テスト終了後速やかに手術が執り行われ、局部麻酔を希望したんだが
手術台の上のライト?が光った記憶を最後に、気が付いたら別の部屋で
寝ていて、口には酸素マスクや点滴がされていて、両端には両親が
泣きながら控えていて「ごめんねごめんね!」と叫んでいて自分ぽかーん。

なんでも自分は腹膜炎を起こしかけてたうえ、点滴で痛みを抑えていた
せいか、膿だか水だかが腹にたまっていて、後一日手術が遅かったら
確実にタヒんでたとかで自分gkbl。これは自分も悪いんだが、普段から
仮病を使って学校を休みたがった子だったので、親はあまり盲腸というのを
信じてなかったらしい。それでも親は罪悪感で一杯だったので
当時出たばかりのスーファミかって貰うことでチャラにした事が自分的修羅場。。

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