キチママ警報 -キチママ・生活系まとめ-

キチママ中心に、トメ・ウト・コトメや修羅場などの 2ちゃんねるの生活板全般のスレをまとめたサイトです。

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506: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/09/19(水) 14:26:42.96
流れを読まずに投下。

母はいわゆるおめかけさんだった。
生活力のないタイプなので父にすがりつくタイプ。
父は「こっちの家庭」では俺様なやつだった。
私が中学のとき母が病タヒ。
大人同士ですったもんだがあった末、
私は父の第一の家庭に引き取られることになった。
俺様な父は第一の家庭ではその妻に完全に尻に敷かれている
人だったから、私の居場所はなかった。
ここまでが第一の修羅場。

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30: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/09/04(火) 19:53:05.45
浮気に関する修羅場3連発。
文才なくてすみません。
携帯からですみません。

(1)父親が病気で長期入院中、
主治医(父の親友)の知り合いだと言う女性がお手伝いとして付き添いに。
しょうもないことがきっかけで彼女が父の愛人だと確信した時と、
その後が自分の中での修羅場。

ちなみに、彼女は父の葬式にも来ていたが(母の意向で親族席に座った。)
父の仕事関係の弔問客のほとんどと知り合いなの?ってくらい
母や私たち子供よりいろんな方と親しく会話してて、
非常に複雑な気持ちでした。

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494: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/08/30(木) 22:37:34.73
虐待は性的なものだけど、精神的なものもあったかな?

いつの頃からか父親が私の布団に入って一緒に寝てた。
私の隣に妹も寝ていたんだけど、私か妹の布団に入ってきてた。
最初は布団に入ってただ隣で寝てるだけだったんだけど、いつからかBまでされるようになってた。
で、それを拒否すると翌日、物凄く機嫌が悪くなる。
なので、父親の機嫌を毎日うかがっていた。
したくもないのに、キスをしたり、抱きついたり。
でも、何故か母親には布団の中でされていることを言えなかった。
高2の時に彼氏が出来た。
でも、遠距離だったから全然会えなくて2ヶ月で別れた。
そしたら、父親の束縛が始まった。
土日に出掛けるときは「誰とどこで遊んでくる。何時には帰ってくる」と伝え、帰ってきてからは「こんなことをした」というのを詳しく話さなくちゃいけない。
話してもホントに女友達と遊びに行ったのかを疑われるので、プリクラは毎回必須。

続きます。

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272: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/08/29(水) 16:54:05.12
大学2年の時、父親が勤務先の金を横領した末に自さつしたのが最大の修羅場。
絵に描いたようなだらしないパチンカスではあったけれど、まさかここまでクズだったとは、と唖然とした。
でもそれより、まがりなりにも18年間(大学進学で家を出たので)一緒に暮らした実の親の自さつを
まったく悲しんでない自分に戦慄した。
それどころか、自分の生活や将来に対する心配で頭がいっぱいだった。
大学続けられるかとか、父親の所業で就職が不利にならんかとか、そんなことばっかり考えてた。
よく、あまりに辛く悲しい出来事に直面すると感情がフリーズするとか言うが、
そういうことでもなく、ただただ面倒なことになった、困ったなと思うだけ。
10年経ったが、未だに一度も泣いてない。
帰省すると父親が吊った部屋で寝起きしてるが何も思わない。
自分はもともとそういう人間なんだな、と分かったのが一番の修羅場だったかもしれない。

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108: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/08/28(火) 19:18:11.36
父親の命日カキコ。
30年前に酒乱父親と母が離婚→母子家庭二年目、私は小3→母は叔父の中華屋で働いており、学校帰りはその中華屋で宿題をしながら夕飯を頂き帰宅まで母を待っていた。
突然店内に目の座った酒乱父親が鎌持って乱入→叔父や客総出で取り押さえる→揉み合ってるうちに鎌が父親のオデコに横に刺さっていた。→救急車!救急車!警察!警察!の声に父親慌てて逃走→みんなで探すが見つからず、二日後に川で出血多量で亡くなっているのが見つかる。
特におとがめは無かったが、母も親戚も罰が当たったんだと言ってた。映画でもなく頭に鎌刺さった父親の姿を見たのが子供ながらに修羅場だった。

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666: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/08/25(土) 23:41:09.49
母が大学の同窓会で実家の方に帰っていた日に、父も飲み会で帰りが遅くなると言っていた。
母は次の日まで帰ってこないし、父は飲み会の日は帰宅が12時を過ぎるので一人でニヤニヤしながら一人きりの時間を満喫していた。
けれど21時ぐらいに家のインターホンが鳴って「もう帰って来たのか…」と残念に思いながらも
玄関を開けると知らないオジサン(タクシーの運転手)が困惑した表情で立っていた。
玄関のそばにはタクシーが一台。後部座席の所にはうずくまっている父がいた。
「きもちわるいよー、○○(母の名)ちゃん、きもちわるいよー」
と繰り返していた。
私と運転手で支えながら家の中に入れると運転手さんを母と勘違いしたのか
「○○ちゃん、ありがとうね」と唇にキスをした。
それをたまたま見てしまった近所の人は父のことを勘違いしてしまうし、タクシーの運転手は泣き出すしで大変だった。
父はその時も母と勘違いしていて運転手に抱き着こうとしていた。
母はちょうど見てしまった人から聞いたらしく、父に「今月は禁酒令」を出した。
父はお酒大好きな人なので、今のところいつも寂しそうにビールの缶やワインの瓶、焼酎などを見つめている。

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620: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/08/12(日) 05:11:09.92
30年近く前、まだ小学校に上がる前の話
乗っていた車が人を撥ねた
運転していたのは父
父と私と妹の三人でレンタルビデオ店に行く途中だった
ただ、その後の記憶に妹の姿がないから、もしかしたら生まれる前か、父と二人だけだったのかもしれない

父が運転席側のサイドミラーが千切れて道路におちたのを拾い上げる姿と、
救急車で運ばれていく被害者の右足が立てひざになっていたこと、
救急隊員の人が大きなビニール袋を下げていた記憶がある

私と妹はその後、現場に駆けつけた父の同僚に家まで送ってもらった
ただ、そのときに妹がいた記憶がないから、もしかしたら乗っていたのは私だけだったのかもしれない
子供ながらも、「私は平常心でいないといけない」という気がして、
父との車内で歌っていたのと同じように、父の同僚の車でも「私トトロ歌えるんだよ!上手なんだよ!」と、トトロを歌っていた
家に帰ると母親が帰宅していて、私が「大丈夫だよ、怖くなかったよ、平気だよ」と言うと半泣きで抱きしめられた

父は、その日は帰ってこなかったはずだけど、翌日か、翌々日には家にいたと思う。
今思うと不思議だけど、家族の中でもタブーになっているのか、誰も触れないし私も聞けない
人身事故起こしてそんなに簡単に帰宅できるものなのかな・・・
分かる範囲だと、4車線の道路を酔っ払った男の人が横断して父の車に接触した、ということみたい
当時なのか、その後なのか忘れたけど、祖母がちらっと「父の知人が手を回して新聞にも載らなかった」と言っていたのを覚えている

時々ふと思い出しては色々考えてしまう
小学生の頃には、
「救急隊員が下げていたビニール袋は千切れた手足だったんじゃないか」
「手足が千切れたのなら生活に支障があるはず。賠償金とか慰謝料はどうなったんだろうか」とか考えていた。
中学生の頃に読んだ小説で、両親を交通事故でなくしてから車に乗るのもすれ違うのも怖くなった主人公が出てきた。
その主人公はその後克服して車の免許も取っていたけど、私は未だに道路を渡るのが怖い。

と言っても車の免許はしっかり取った。今回書換でめでたくゴールドになったので吐き出し。

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378: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/08/10(金) 20:47:24.21
ここでしか吐き出せないので書かせてください。
中学最後の年、私は吹奏楽部に所属していて夏のコンクールでは金賞を受賞。
次の大きなコンクールに出ることが決まり、とても浮かれていました。
その日は兄は一人暮らしを始めていて家にはいない、母は祖父の介護の為に帰省していました。
家には父だけで、父も同じ中学の吹奏楽部に所属していたけれど
父の代では金賞を一回も取れなかったので喜びを分かち合いたくてハイテンションで帰宅しました。
「遅くなってごめんね。そして…金賞とったどーーーーーーーーーーーぉ……お?」
って感じだったと思います。
リビングに入ると同時に視線の先には父と祖母が合体していました。祖母は父の実の母。
兄に連絡して最寄駅で兄に拾ってもらいその日は兄の部屋にいました。
次の日、母が兄から連絡を受けて父と話し合い。離婚しました。
引っ越す時、「離婚はお前のせいだ!」父に怒鳴られたのをまだ忘れられません。
父方の祖母には唾を吐かれ、父は顔を真っ赤にして怒鳴っていました。

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526: 1 投稿日:2012/08/03(金) 13:01:39.37
空気を読まずに投下


大学の講義が終わったあとタイミングよく兄から電話。
何でも義姉に連絡をしても返事がない、電話にも出ない。
どっちにしろ体調を崩している犬の様子を見てきてほしい。と言われた。
ということで、その日は講義もなかったのでそのまま兄の家へ直行。
インターホンを鳴らしても出てこないし電話をしても出ないので、
合鍵を使って家の中に入るととんでもない光景。
泣いてぐったりしている義姉の上に父が乗っかっていた。
いわゆるそういう行為をしていた。
ぽかーんとする私を父が最初に見た。そして「おう…」と言って服を直すとそのまま家を出て行った。
私は父を追いかけるより義姉のもとへ。
話を聞くと「孫が生まれないのはお前かアイツが欠陥品だからだ。とりあえず俺のもので試してみよう」
と言われたらしい。
それ以降は泣きじゃくっていてどうしようもないのでとりあえず動けなくなっている義姉を風呂に連れて行きシャワーを浴びさせ服を着させて兄に連絡。
兄が帰ってくるまで私にしがみつく義姉に本当に申し訳ないとしか言えなかった…。
犬も空気を呼んでか義姉にぴったりくっついていた。

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54: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/07/31(火) 15:19:38.54
家族の修羅場(?)
ちと交通事故の描写(グロ)あり

一年前に私の父親が事故った
中~遠距離のトラックの運転手をしている父親が
配送先の北海道から帰ってくる時に岐阜で衝突事故を起こした
大型のトラックって鼻っ面が無い為、ぶつかった時の衝撃が運転席にダイレクトに伝わり父親は運転席に挟まれ
身動きが出来ない状態で、肺に穴、左足を複雑骨折したらしい
幸い事故を起こした場所の近くにレスキュー隊の人が居て父親は無事救出
近くの病院に運ばれたが
肺に穴が開いていたので呼吸がままならず、病室は集中治療室の近くで暫く過ごしていた

元バイク乗りのトラック野郎だったんで元々事故は多かった(今までは奇跡的に大事に至らなかったが)が
タヒを覚悟するような事故は初めてで私を含め家族にとっては修羅場だった…
しかし、この時私は更なる修羅場(個人的に)が起こるとは思いもよらなかった……

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