キチママ警報 -キチママ・生活系まとめ-

キチママ中心に、トメ・ウト・コトメや修羅場などの2ちゃんねるの生活板全般のスレをまとめたサイトです。

注目の人気記事

両親

    このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr
15: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/03/16(土) 20:45:07.69
まあいいや吐き出させてもらいます。

ちょっと前に父がタヒにかけた。
一時かなり危ない状態で、もしかしたらやばいって話を聞いて
俺、母と実家に集まった。
そこで母から言われた言葉「貴方に言わないと駄目なことがある、実は貴方、拾われっ子なの」と言われたのが第一の修羅場。
しかしその時の俺は20歳。拾われたとはいえ父、母には大学にも通わせてもらってるから
他人でも別に構わないと思ってた。 …因みに父、母と思っていた二人は実は兄と妹。すげぇ似てるなーとかのんきなことを思ってたよw
事実を知ったことを父に言って気にしないと言ったら、父はみるみる元気になっていって今も元気にしています。
そんなこんなで、実の家族ではない発言をされつつも、俺がそんなに気にしない性格だから修羅場という程修羅場にはならなかった。
けど修羅場はそれだけじゃあ終わらない。 続きます。

続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr
153: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/03/08(金) 00:39:09.19
ここの書き込み見てると大したことないんだろうけど、高校3年から二十歳ごろにかけてが人生最大の修羅場続きだった
ちょいちょいフェイクありますが投下、長文すまん

受験生になり志望校がある程度固まってきた時
親からはひたすら「県外に出るのなら国公立、私立に行きたいなら県内にしろ」と言われ続けた
本当は隣県の私立にすごく行きたい大学があったけど、上記のことをことあるごとに何回も何回も繰り返し言われ泣く泣く断念
隣県の国公立に第一志望を決めるも担任からは、「お前この前の模試で××大学第一志望って書いてたけど、本気か?ww」と笑われたのがまず第一の修羅場
努力は最大限したけど模試の結果も伸びることなく、その上センターで滑りまくったので国公立には行けず、浪人も許してもらえなかったので、表向きは「自分の意思」で地元のFラン私立に進学
高校時代はなまじ成績が良かった方なので「何で私はこんなところ(Fラン私立)にいるんだろう…」などと考え始め、燃え尽き症候群も発症し講義中に涙が止まらなくなり不登校→中退
とここまでが第二の修羅場
毎日何をするでもなく、夜にちょろっとバイトに出るだけであとはボーッとしたり泣いたり寝たりを繰り返して過ごしてた
ら、弟が「県外私立」の大学に進学決定
もうこの時点で頭がどうにかなりそうだった
どういうことなのか親に問いただしても、
「弟の大学は就職に強いって高校の先生が言ってくれている」
「県内私立に行くのはもったいない」(弟は理系で、理系の県内私立はFラン以下)
「それにあんたは 自 分 で あの大学に行きたいって言ったんでしょ?」
もう意味がわからなかったから考えるのをやめたのが第三の修羅場
ちなみ弟は受験期間も勉強せずPCでようつべ、ニコ動三昧してた程度の残念な奴
この時は本気でタヒのうと思った

今はアルバイトだけど、精神的に安定できる非常に恵まれた職場に拾ってもらった記念にカキコ

続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr
210: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/11(月) 12:15:02.43
私の修羅場、両親の離婚原因が私
父親は自分にも母にもまったく似てないから母の浮気相手の子じゃないかと疑い
母は私を産んだせいで父のような貧乏リーマンとデキ婚するハメになった、もう父とは一緒にはやっていけないと逆ギレ
間で双方から責められ涙目の自分は当時中学卒業目前、ここが一番の修羅場だった

母方の祖父がこの流れにブチギレ、両親には離婚させ母は二度と帰ってくるな私は祖父宅で引き取って責任をもって大学まで行かせると宣言
これに父方の祖母(祖父はすでにタヒ去)が反発、うちの跡取り孫だから面倒もうちで見る、父には一切口を挟ませないから安心して母を何処かに叩きだせと逆に宣言
ここら辺で今度は私が静かにキレた

中卒でも雇ってくれる住み込みの仕事を見付け、両親に離婚でも不倫でも好きにしろ、私は消えてやるから最後にこの会社に入社するための身元保証人になれ
以後は迷惑をかけない、と言うか二度と連絡はしないので息子なんていないものだと思えと言って、入社申請の書類を突きつけた
そこそこ成績は良かったので学校側から思いとどまらせて進学させてくれとかも言われてたが断固拒否
両親にしても父にとってはまさかの跡取り(予定)の造反、母にとっても養育費のダシに自分から出て行くと言われた事態
そしてさっさと荷物をまとめ、戸籍も抜いておけと言い捨てて就職
ガテン系のよくも悪くも大雑把な人達に揉まれて、どうにか当たり前に近い人になれたんじゃないかと自画自賛

今となっては両親の離婚問題で責められた程度で何泣いてたんだろうと笑いとばせるようになりました
最近還暦過ぎた元両親からそれぞれ同居して介護してくれと申し出があったんで、どちら様でしたっけ?とガチャ切りした記念にカキコ
乱文失礼しました

 
続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr
238: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/01/22(火) 00:21:49.81
父親が自動音声に向かって話してたとき。

子供のころ、親の仲がわるかった。
そして、父は定期的な収入がなかった。
たぶん自営だったんだと思うんだけど、詳しくは知らない。
母に「今月はまだなんですか?」とか聞かれると機嫌を悪くして怒鳴っていた。
いつからか夜遅くに父が帰宅すると家族は早々に寝室で寝たふりをする習慣がついていたんだけど、
よく、そのころはまだ珍しかった携帯の着信があり、隣室からその会話が漏れてきていて
母はそれを聞いて「仕事はしてるみたい」と思っていたらしい。
ある夜、また携帯が鳴って、調子よく父がしゃべっているのが聞こえた。
で、相手の声も聞こえるんだけど、なにかがおかしい。
相槌を打っているふうでもなく、会話をしているようには聞こえない。
そのままよーくよーくその声を聞いていたら、それが時報だというのに気付いた。
父は、時報に向かってさも仕事をしているかのようにしゃべっていただけだった。

気付いた瞬間がものすごく修羅場だった。大混乱とかいうレベルじゃなかった。
気持ち悪かった……

続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr
881: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/01/15(火) 22:47:12.27
両親の別居の理由を20になるころに初めて知った。
父は本州出身、母は北海道出身。私は一人っ子。
私は生まれは北海道だけど、1歳頃から本州、3歳頃に北海道に戻ってきた。今も北海道。
今までずっと「仕事の都合」で別居だと聞かされていた。周りはみんな親子みんなで出かけているのが羨ましくて仕方なかった。
小学校の頃、お父さんと一緒に暮らしたいって作文コンテストで書いて賞までもらった。
母方のいとこ2人とは兄弟のように育って、たまに本州の家に帰ると父方のいとことも遊んだ。
父方いとこの末っ子は私以上に私の父に甘えていた。プレゼントのおねだりもうまかった。それが羨ましくて仕方なかった。

私が3歳のころからずっと別居、いつか離婚するとは散々聞いていた。
高校に入ったらーだとか卒業したらーだとかアンタが二十歳になったらーだとか。まあそんなもんかと思っていた。
20の誕生日が近くなった頃、母がぽろっと別居の理由を教えてくれた。父の浮気が原因だった。
最初は何を言われたのか分からなかった。私の中の父の姿が崩れていった。
浮気の慰謝料やなんかをもらわない代わりに生活費をもらっているそうだ。
そして私の20歳の誕生日の2日後、両親は正式に離婚した。

離婚はしたものの私はまだ学生で、中小企業の役員である父からの振り込みが頼り。
何年もあってない父への数少ない連絡が金の無心。毎度毎度タヒんだ目でメールをうつ。返事はない。
父方の祖母に貸してもらった振袖で成人式に出た旨を連絡するも、やっぱり返事はない。

そういえば父は最初、母でなく、母の妹が好きだったそうだ。なにそれ。笑える。
ついでに父方いとこの末っ子は今どこぞのクラブで働いていて、その斡旋をしてやったのは俺なんだと父は自慢げだった。
お前ももう少し稼げるバイトでもすればどうだ、とも言われ、ああ、これがこの人の考えなのか。と妙に乾いた気持になった。
私は残念ながらオトンそっくりのクソみたいな不健康デブスに育ち、おとなしーく家庭教師のバイトをしている。
「そんなクソつまんねーバイト何が楽しいんだよwwwwww」とバイトを始めた当初に言われたのを思い出してカキコ。たしかにクソつまんねーけどさ。

続きを読む

このページのトップヘ