キチママ警報 -キチママ・生活系まとめ-

キチママ中心に、トメ・ウト・コトメや修羅場などの 2ちゃんねるの生活板全般のスレをまとめたサイトです。

注目の人気記事

黒い過去

    このエントリーをはてなブックマークに追加
476: 名無しさん@おーぷん 2016/02/17(水)16:32:26 ID:7nR
お悩み相談などをして大金を稼いでいたこと

1分いくらでお悩みを聞きます、みたいな仕事をしていたんだけど、
そのうち、割増料金を払うからずっと話したいとか深夜にも話したいと言う人が増え始めたので独立。
個人サイトやポスティング等で顧客を増やした。
年齢は15歳上にサバよんでた。
若すぎるとなめられてしまうので。

料金は1分100円と初めからちょっと高めに設定。
予約外や深夜、長時間話したい人には10000円/60分~で対応。
話した後に振り込んでもらうスタイルなんだけど、意外にも入金せずバックレる人はほとんどいなかった。
中には小遣いといって1度に大金を振り込んでくれる人もいた。

明らかに虚言と思われる作り話をしてくる人のほうが気が楽で、
本当に参っている人の話を聞くのはこちらもつらかった。

土日も無しに1日16時間くらいは人の話を聞いていたので、自分自身の日常生活はほぼ無し。
税金で半分近く取られたけど、10年でかなり稼がせてもらった。

続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
468: 名無しさん@おーぷん 2016/02/17(水)08:34:09 ID:bNK
夜の店が楽しくて楽しくてやめたくなかったこと。
そこで、旦那と出会って(客)、結婚。
まぁまぁ、幸せなんだろうけど、喧嘩したり不安定になるとあの頃に戻りたくなる。
旦那には、もう、戻りたくないよー、やめてよかった。等と言ってるし旦那も、俺があげてやったみたいな感情が言わずとも伝わってくる。
でも、あんなキラキラな毎日がもうないかと思うと寂しい…

続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
457: 名無しさん@おーぷん 2016/02/16(火)12:29:53 ID:otC
自分の実家が所謂DQNな底辺一家だった。
兄弟が4人いるんだけど、全員DQNネーム。
難読とかではなく、美羅(みら)とかそんな雰囲気。
他にも羅列してみるとこんな感じ。

・食事は1人1皿で基本ご飯とおかずが合盛り。ワンプレートなんて洒落たもんじゃなく。
基本、丼形式になってて白米の上におかずが乗ってて、混ぜて食べる。
母は毎日、普通に調理するんだけど、鶏ももの1枚肉も豚ロースの1枚肉も一口サイズに切って乗せる。
だからか、スプーンで食べることが多くて、姉弟全員、箸がうまく持てない。
・深夜にも連れ回して遊ばせる。親と車で深夜のドライブするのが楽しみの一つ。
深夜のスーパー、レンタルビデオ店、工場地帯の夜景、すごく楽しかった。
・お祝いごとは安い焼肉食べ放題。
・学校に遅刻しても怒られない。だるかったら休めばいいと言われる。
・長姉が髪を染めてくれて、小学生でも茶髪だった。
・長姉が高校生ででき婚離婚出戻りして、私は10歳で叔母に。でも長姉大好きでまた一緒に暮らせる!と嬉しかった。
・ときどき電気やガスがとまった。
・父も母も高校中退の中卒。

改めて文字にするとすごくDQN。
だけど両親ともに元ヤンというわけではなく、柄が悪いという感じもなかった。
単に物を考えない・知らない阿呆だったということなんだろうかね。
家は父が祖父母から受け継いだものだから、家賃だけは滞納せずに済んでいたようだ。

でも子供時代はすごく幸福で、家族が大好きだったわ。
お金はなかったけど、親は親なりに、お金無いなりに工夫してくれたんだなと大人になってわかった。
土日は家族でたこ焼き(具は色々)やもんじゃ焼きを作りながら食べたり、餃子を包んだり。
焼肉だ~といってホットプレートを出すんだけど、焼くのはカレーに使うような薄い牛肉とウィンナーやチルド餃子。
ハムや卵も焼いたな(笑) でも子供の私にはそれが楽しかったな~。
漫画や雑誌もいろいろあったけど、痛み具合とか的に、たぶんゴミ置き場から拾ってきたものだったと思う(犯罪)。
猫も3匹室内飼いしてたんだけど、親が掃除苦手で家が汚いから、友達が遊びに来たときアレルギー反応で喘息みたいになって大変だった。

私は底辺高校から運良く推薦で地元の国立大に入れて、その頃の彼氏や友達に常識やマナーを教えてもらってなんとかなったけど、
他の兄弟や親は昔のまま。
他人に言いたくない理由は、大好きな家族が貶されるのを聞きたくないから、というところまで含めて誰にも言えないかな。


続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
455: 名無しさん@おーぷん 2016/02/16(火)11:19:07 ID:JzJ
幼馴染を見捨てた、ってレスをどこかで見たから似たような話。

中2の夏、ヤンキーに憧れていた私と友人Aは意味なく深夜に街を徘徊していた。
お金もなくすることもなかったので公園でたまってたら、同じ中学の卒業生でみんなの憧れだった、バリバリにヤンキーのT先輩が声をかけてきた。
私はTが好きだったので一生懸命話しかけたが、
TはAを気に入ったようで、Tの家でもひたすらAを口説いていた。
その後、暴走族wの頭だったTの家でたびたび集合してはやりコンみたいになっていた。
ある日、深夜3時に家に帰ったら、まだ元気だった祖母に思いっきりぶん殴られた。
それから毎日のように祖母にブチギレられ、深夜に外出することができなくなった。
Aはその後も深夜に徘徊し、二学期には学校に来なくなった。
その後もAから何度も電話があり、今更学校に行くのは恥ずかしいから迎えに来てとか、T先輩がゴムつけてくれない、妊娠したかもなど言っていたが無視。

外で会って話しかけられても、お前のせいで祖母に怒られた!と逆恨みしてオールスルーした。

18になって、ショッピングをしているとベビーカーを押したAがいた。

話しかけはしなかったが、後で共通の知り合いに聞いたところ、Aはその後T先輩と結婚したが、暴走族で中卒のTに就職先はなく、ずっと無職だったから離婚したらしい。
Aは1人で子供を育てていたらしいが、その子供も見かけなくなったとか。
あの時、Aが助けを求めていたのをシカトしなければ彼女の人生は変わっていたのだろうか、
あの時、もし私がTに気に入られていたら、私が中卒の無職と結婚していたのかと思うとゾッとする。

現在はいいとこのぼっちゃんと結婚して、すごい良い暮らしをさせてもらってるけど、中2で深夜徘徊にヤリコンしてたとか絶対言えない。

続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
449: 名無しさん@おーぷん 2016/02/14(日)18:02:02 ID:lHe
高校卒業後、専門学校に行くという名目のもと東京へ出て遊びまくってた。
クラブ通いやナンパ待ちをして、週に1度は知らない男と関係を持っていた。

そんなある日。
郊外の有名なナンパスポットに友達3人と車で出掛けた。
まわりからひと気が途絶えた時、前と後ろを車で挟まれ身動きがとれない状況になり、
それらの車から合計8人のギャル男~チンピラ風の男たちが出てきて、要するに『ボコボコにされるかマワされるか選べ』という二択を迫られた。
私はその男たちをぱっと見た時からボス猿が誰かという検討がついていたので、そのボス猿的な男の腕に自分の腕を絡めてこう言った。
「私、この人がいい~」
8人にマワされるより、ボス1人と何発かやったほうがマシだと思ったのだ。
するとボス猿は満更でもないようで「じゃあ俺は行くからお前ら頑張れな」と言って私を連れて車に乗った。
人の少ない駐車場に車を止めてヤると言い出したので、
ボス猿のあれをさすりながら「ええ~、ホテルXがいいなぁ~。お風呂にマットがあるんだよ」
と以前ここでナンパされたときに使ったラブホテ●の名前を出した。
安いし、マットでサービス付きならホテルでもいいかと思ってもらえるだろう、と。
ボス猿はチッ、と舌打ちしつつも嬉しそうだった。

ホテルでプランと部屋を選ぶ段になると、緊張と遊びすぎのせいか、疲れがどっと来て、
これからヤったあと、駅からかなり遠いホテルの外に放置されて、帰ってくるかわからない友達の車か始発を待つのは辛い、と思ったので、
「ねぇ~、泊まりでたっぷり楽しもうよ~」と提案した。
また、チッと舌打ちしつつも、宿泊を選ぶボス猿。
部屋に入ってからすぐヤろうとしてきたけど、汚くて嫌なので、マットでサービスしてあげると言って風呂に誘導。
綺麗に洗ってからことに及んだ。
何度もするのは嫌だったので「奢るから盛り上がろうよっ」と二人でビールを開けて、マッサージしてやるとボス猿は寝た。
ボス猿がいびきをかいている間に、友達2人のPHSに連絡するが、応答はない。
翌朝、寝起きにもう一発するとメアドを教えろというので教えた。

翌日連絡の取れた友達2人は、外で7人にマワされて大変だったらしいが、めんどくさいと言って警察には行かなかった。

その後、ボス猿は、都内の有名私立のお堅い学部に通う学生であり、
男の家族の男たちも皆その仕事に従事しているお金持ち一家であることが判明した。

そこから私たちは交際することになり、ボス猿の大学卒業と同時に結婚した。
8人の男に囲まれたときは、さすがに本当に怖くてタヒぬかと思い、
もうこんな生活はやめよう、年貢の納め時だ、と感じていたのでラッキーだった。

友達2人には本当に悪いことをしたな、と思っているけど、あのときアイコンタクトを送っていたのに気が付いてくれれば、
あるいはボス猿と4Pするだけですんだのになあと思う。

続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
410: 名無しさん@おーぷん 2016/02/10(水)15:48:46 ID:utV
不倫した挙句、奥さんに職場に乗り込まれたことがある。
大学卒業後、親のコネで地元の有名企業にUターン就職。
当時、父はその会社で部長クラスだった。
就職して2年目、同じ町の一回り上の男と付き合いはじめたのだけど1ヶ月後には既婚と判明。
でも、自分でも本当に何を考えていなかったのか何も考えていなかったのか、
考えたところで正解が導き出せないほどのバカなのか、なんなのかわからないけど、交際を続けてしまった。
それも、今では考えられないほどに堂々と。
地元でデート。人口1万人の町でデート。バレないわけない。
遠出したとしても、ちょっと遠いモールや動物園。目撃されないわけない。
後から知らされたが、奥さんが乗り込んで来る以前からすでにかなりの噂になっていたらしい。当たり前だ。

結局、交際開始から1年後に奥さんが突然職場に乗り込んできた。
窓口業務だったので、逃げるすきすらなかった。
写真で見たとおりの美人。姉さん女房だけど、男より年下に見えた。
「あなた!フルネームさん!どういうつもりですか一体?説明してください!」
そこからは「質問形式」で、なにもかもを大声で詳しく暴露されるという修羅場。
「フルネームさん? あなたは私の夫と何年何月くらいから肉体関係にあるって本当ですか? ○×ホテル(町で唯一のラブホ)の常連って本当ですか?
「フルネームさん? 大学生のころ親に黙ってキャバク●でバイトしてたって本当ですか?(男にだけメールで教えていた事実)
「フルネームさん? あなたの両親は家庭内別居中で父親は出張のたびに変なマッサージ屋さんに行くって本当ですか?(↑と同じ)
「フルネームさん? あなた私のことをメールでPTAって呼んでいたって本当ですか?(本当…PTA会長だったから)

腕を掴まれそうになったけど、パンプスを脱ぎ飛ばしネ果足でダッシュし車に乗り込んで、実家にキャッシュカードと暗証番号書いた紙残して、携帯をへし折って庭で燃やし、また車に乗って逃亡。
実家に生活費も入れず遊び代以外給料はほぼ貯金に回していたから、
残高500万円分くらいはあったので、足りないかもしれないけどそれを慰謝料でもなんでも使ってくれと思って。
あと、なんでかわからないけど、ファミチキを6個一気食いした。
一晩中運転して大学時代の友達の家に転がり込み、そこから1度も地元に帰っていないし、向こう側との交渉は両親と両親の知り合いの弁護士が窓口になり私はノータッチ。
もちろん男ともあれっきり1度も連絡を取っていない。男夫婦は離婚したらしいけど詳しくは知らない。
結果的に父は早期退職したのだけど、離婚の話も出ていた母との仲が良好になり、二人で姉夫婦が移住して暮らしている某東南アジアに移住した。

私のせいで家族全員が地元を捨てるようなことになってしまい、本当に後悔しているし、
いつ本当に辛い因果応報がやってくるんだろうかと考えるとぶるぶるする。

続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
403: 名無しさん@おーぷん 2016/02/08(月)08:59:20 ID:H4E
17~31まで過食嘔吐と拒食を繰り返す摂食障害だった。

まず初めは拒食だった。
バレー部で166/55の健康的だった体が、2ヶ月足らずで166/40に。
毎日、液体物しか摂取せず、体はふらふら。
大学生になって一人暮らしを始めると、今度は過食嘔吐に。
お金がないので外食や惣菜は食べられず、毎日ひたすら粉物を自炊。
水商売や風イ谷も考えたことがあるけど、ブスだしコミュ症だしビビリだしガリガリ過ぎてキモいしで、
毎日のコンビニバイト以外にも日雇い等をすることでお金を工面していた。
学校とバイト以外は寝る間も惜しんで食べ吐き。
最終的には小麦粉に卵と本だし入れただけのものを大量の油で焼いてソースかけるだけのものばかり食べていた。
激安の食パンをマーガリンや砂糖、マヨネーズだけで食べるとかも定番だったけど。
下剤も乱用し、脱肛経験も。
社会人になると今度は過食嘔吐の時間が取れなくなり、拒食に。
166/33まで落ちて最高に気持ち悪くなったけど、
膝小僧やあばら骨がむき出しになっていないと落ち着かなかった。
生理は17からずっと止まったまんま。
前頭部は禿げ上がり、常にウィッグ着用。
日に何度でも吐くので、顔はぱんぱんにむくみっぱなし。
不幸中の幸いは、歯に激しいダメージがなかったこと。
この病気だと30代で差し歯だらけとか総入れ歯の人なども多いので。
階段を上がるだけでまったく動けなくなり、フルタイムでは到底働けないので退職。
家賃2万円のぼろぼろのアパートに引っ越して、データ入力等の体力使わないバイトで食いつないでた。
でも毎日働けるわけではない上に過食嘔吐を辞められず、貯金はどんどん減り、サラ金に借金。
最終的には皿を洗う力もなくなり、100均の45Lゴミ袋を床に広げそれを皿代わりにする始末。
ガスや電気も止められ、調理ができないのでもっぱら食パン。
マヨネーズも買えないので、サラダ油に浸した食パンに砂糖をまぶして食べていた。
29歳のある日、大量の食材を買い込んで自転車で帰宅する途中、激しい頭痛に襲われそのまま気絶。
運ばれた病院の先生やケースワーカーさんが大変親切にしてくれて、そのまま専門の病院に入院することに。
その後も入退院と再発を繰り返していたけれど、だんだんとよくなっていった。
資格も取得し正社員の仕事を得ることも出来て、生活も安定。
借金も1本化して、無事に完済。
過食嘔吐以外はお金を全く使わない暮らしが長かったので、節約して金を余らせるのは簡単だった。

そして31歳の今日から、41歳の今まで再発なしで暮らせている。
17から31までひたすら食べて吐くだけに使っていた時間の損失を思うと叫びたくなることもあるけど、
今こうして普通に生きられて、家族も持てたことの嬉しさと驚きのほうが大きい。

続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
392: 名無しさん@おーぷん 2016/02/03(水)17:08:43 ID:3kk
小さい頃私は大のおじいちゃん子だった。
TVを見るときは祖父の股の間に座ってこたつに入って一緒に見るし、お風呂も小4まで一緒に入っていた。トイレも一緒に行ったことがある。
小4の頃に母に「そろそろ一人で入れるでしょう。」と言われたのでそれから一人で入るようになった。
思春期になり祖父と過ごす時間は減っていった。
大学生の頃性的虐待のニュースをみて、ふと思い出した。
お風呂に入っている時も、TVを見ている時のこたつの中でも、私は祖父にあそこを触られていた。撫でるとか手を置くとか、そういった感じではなく、性的に弄られていた。
時々祖父のモノも触らされてたしすまたみたいなのもした事がある。
物心ついた時からそれが当たり前だったから不思議にも思わなかった。
ただ祖父にこういった事をすると喜んで貰えるのだと知り、同居していない方の祖父にも同じ事をしようとした。
怒られたので、これは同居している祖父にしかしてはいけない事なんだと思った。
なんで忘れていたのか不明だが、こういった事を思い出して以来祖父が気持ち悪くなった。
元々中学に上がってから家庭内の雰囲気も悪く仲も悪かったが、益々憎悪が増した。
母は祖父からセクハラされていた事があるので、もしかしたら何となく気づいていたかもしれない。
祖母が目の前で同じこたつに入っている時にもされた事があるので祖母は知っていたのかもしれない。
私には姉がいるが姉もよく祖父の股の間に座っていたので姉も被害者かもしれない。けれど誰にも聞けない。
そんな祖父は認知症になった。自分のしたことを忘れてしまってさらに憎くなったが去年亡くなった。
祖父は人望がある人だったので誰もがタヒを悲しんでいるようだった。
泣かないだろうと思っていたら棺の中に入っている祖父をみて泣いた。祖父に対する気持ち悪さは未だに消えない。時々ふと思い出して気持ち悪くなる。
幸いな事に好きな人ができ、結婚し、子供もいる。男の子でホッとした。

続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
396: 名無しさん@おーぷん 2016/02/04(木)13:43:18 ID:LNc
ホームレスしてたこと

大学1年の時に事業に失敗した親がマチ金に追われて夜逃げした
私は遠方で独り暮らし中で何も知らされず、親戚から連絡が来て初めて知った
私はそれまでアルバイトもろくにしたことがなく、馬鹿だから奨学金もとれてなくて
学費払えないし家賃払えないし、貯金なんてなかった
友達にご飯を食べさせてもらい、大家の温情で2カ月は置いてもらえたけど
最終的にいたたまれなくなって私も夜逃げした
でも行く先がなくて駅のベンチを転々として、廃棄弁当をもらって食べてた
着替えは少ないし公園で水洗いするだけだし、シャワーも浴びてないからくさかった
たまに小銭を拾ったときはためておいて、ガソリンスタンドにある安いシャワーを使った
生理になった時は生理用品を置いてあるパチンコ屋から失敬した
4カ月くらいで警察に職質されて、未成年だからシェルターで保護してもらった
働き方を教えてもらって、正社員になって独り立ちするまでそこに置いてもらい、
家を借りるときには保証人にもなってもらった

今振り返ってみても自分が馬鹿すぎて旦那には言えない

続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
388: 名無しさん@おーぷん 2016/02/03(水)11:01:24 ID:yuf
私含め低IQのDQNしか出てこない話なので、
イライラしたくない方は読まない方が良いかもしれないです。

高校が同じで、私が大学進学してからもよく遊ぶ友達(以下A子)がいた。
A子は調理師の専門学校に進み、私より早く社会人になった。
お互い酒タバコがダメでドライブとカラオケが趣味だから気が合って、
2人で旅行に行ったりお互いの家に泊まりあったり親友といっても良い仲だった。

そんな風に過ごしている中、大学卒業3年後に私が結婚することになった。
マリッジブルーどころか、もともと結婚に憧れの強かった私はテンションMAXに。
実家から通勤した3年間に節約しまくって貯めたお金を全額ぶち込む勢いで好き放題にプランを組んだ。

そして当日。

チャペルに入った瞬間、ものすごい異物が目に飛び込んできた。
それは、真っ白のA子だった。
膝上10cmくらいありそうな白のドレスに、シャンパンゴールドのショール。
天窓からの光に照らされて、パッと見、本当に真っ白だった。
後から気がついたけれど、足元もラインストーンだらけの真っ白のハイヒールのサンダルだった。

私のテンションは一瞬で急降下。
やっぱり、マリッジブルーではないとはいえ、おかしな精神状態だったんだろうと思う。
それを見ただけで泣きたくなるほど悔しくなった。

さすがに本当に泣いたりむすっとしたりはしなかったけど、
披露宴のときのA子からの手紙のときはA子の目を見られなかったし、
2次会でもほとんど話せなかった。
なんと小さく幼稚なんだろう、自分……

私はそのまま夫の勤務先(地元からは飛行機の距離)に引っ越し、
A子とも年賀状とたまのメールでしかやりとりしなくなった。
その頃の私にはフェードアウトとか切るとかそういう発想がなく……。
でも、結婚式のA子を思い出すと悔しさで涙が出そうになるくらいには根に持っていた。
白いドレスを着てきたということ自体というよりも、
1年位かけて細かく計画して、お金もたくさんかけて自分の理想の式にするはずだったのに、
それにめちゃくちゃに泥を塗られたみたいな気持ちになっていたんですよね。

続きを読む

このページのトップヘ