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修羅場

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11: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/09(土) 14:32:02.84
軽く修羅場。
見てないけど。
祖父は寝たきりで自宅介護だった。
朝、母が世話しに行ったらタヒんでたらしい。
タヒ因は老衰。
寝てる間に逝ったらしい。
同じ部屋にいた祖母は気づかず祖父を挟んだ場所にあるテレビを見てたらしい。
救急車呼んだけど既にタヒ後硬直してたとか。
その後の葬式だなんだで結局実家と絶縁したけど、目の前でタヒんでることに気付かずテレビを見てたとか自分だったら絶対いやだな。

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977: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/09(土) 00:54:09.07
中学生の頃等質と誤診され、閉鎖病棟に数年間強制入院させらたこと。

副作用だけで腸閉塞になるくらい薬漬けにされて廃人に。
精神状態は日に日に悪化して自傷行為が始まり、刑務所みたいな保護室に手足を拘束されて過ごすこともあった。
こんな生き地獄(病院)に置き去りにした親を恨んだし、等質じゃないことを信じてもらえなくてショックだった。
まだまた子供だったんで、親に捨てられたという思いで絶望した。
そして青春を失ってしまった。

でもその後いい先生に出会え社会復帰できました。
当時の写真を見るとまるで別人で、顔付きが完全にヤバいです。

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917: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/08(金) 09:09:10.23
鬱病の薬の副作用が強く、
暴れたり、自さつしたり、物忘れがひどくなって動かなかったり
薬をぜーーんぶ止めて、脳内物質を安定させる薬だけにしたら
即治ったよ。家の兄貴。
これで精神病患者の薬漬けは反対派になった。
薬のお陰で楽になってる人は多いと思うけど、
合ってない薬をジャンジャン処方されて、人間としての何かを壊されてる人が多い

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912: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/08(金) 08:40:06.16
5年ほど前の出来事。
他の方に比べたら笑い話みたいなものなので、お茶受け程度に。
ちなみに下の話なので苦手な方はスルーを。

当時鬱で1年半ほどカウンセリングと投薬治療を受けていた。
薬の副作用で健忘があり、それが本当にひどくて
数秒前のことをコロっと忘れてしまうようになってしまった。
このまま飲み続けたら廃人になってしまうかも!?
だいたい薬で鬱が治るのか?と懐疑的になってしまい
医者に何の相談もなく数種類飲んでいた薬全てを飲むのをやめてしまった。
断薬一日目、特に何も変化なし。
何だ、やっぱり薬何かいらなかったんだ~。

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905: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/08(金) 06:45:15.52
小学生の時に両親が離婚した。
父は仕事柄数か月に一回しか帰って来ない人だったこともあり
母が大好きで妹と一緒に、母に引き取って欲しいと両親に言った。
けれども母は妹だけ連れて家を出て行き、私は父方の祖父母に引き取られた。
小学校から帰ったら、家の中ががらーんとして母も妹も居なくて
泣きながら探したあの寂しさと恐怖は、いまだに夢に見るぐらいです。
夜になって父方の祖父が迎えに来てくれるまで、数時間電気もつけずに
暗い中じっとしていました。
その後中学生の頃父が再婚するに当たり、私が邪魔だったらしく
子供の居ない親戚に養子に出されました。
ここでは家業のために跡取りが欲しく、本当は女でなく男が欲しかったので
家族として扱われることはなく、衣食住だけ与えられて飼われているという状態。
それでも商業科しか認めないと言われたが、高校に進学させてくれたのは
感謝している。
私が高校生の頃乳児の男の子を施設から引き取ることが決まり
私は用無しになったので、高校卒業したら独立してくれと養子縁組を解消された。
就職したら家に全額給与は入れるように養母に言われていたりしたので
養子縁組解除されて、高校の卒業式の翌日にアパートに追い出された。
これで人の目を気にしながら、ご飯を食べる必要もなく
生理用品を生理が重くて数を使うと、布を使えとぼろ布を投げつけらるような
事も無くなるんだとものすごくうれしかった
それでもアパートの敷金礼金と二か月分の家賃は、元養父への借金で
安い給与の中から返済するために、毎日パンの耳で暮らしました。
家財道具は何もなかったので、調理用品も買いそろえるのに時間がかかり
最初はパンの耳しか食べられなかったのです。
勤め先は大きい工場で、お昼は安い社食があり、制服もあったので
制服下の服は、下着と上着三枚を回し毎日お風呂で手洗いしてました。
みじめな生活かもしれませんが、養母のあら捜しの目が付いて回らない
自由の生活はものすごくのびのびでき、母と妹と暮らした日々の次に
楽しいと思っていました。

 
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