キチママ警報 -キチママ・生活系まとめ-

キチママ中心に、トメ・ウト・コトメや修羅場などの 2ちゃんねるの生活板全般のスレをまとめたサイトです。

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2016年02月

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797: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/19(火) 14:48:16.36
あー学生時代付きまとわれたわ、その手の自称霊能力者に
まあもういっちょ斜め上で前世の奥様だったけどね、その子
所謂ムー民とか転生戦士とかの類
同人誌即売会(オタクに市民権がない頃)の会場でいきなり手をとって必タヒでアトランティス(笑)だったかレムリア(笑)での思い出、を語りだして周囲も私もドン引き
以降別の同人友経由で住所も学校も割り出されてストーキング、ストーカーどころかつきまといって言葉すら流行ってない当時なんで警察も痴情のもつれで全スルー

結局祖父が弁護士入れて接近禁止?を勝ち取ってようやく逃げられた
相手の親もあなたに会ってから娘が明るくなったとかで生贄にする気まんまんで役に立たなかったし
でも何が見えてるんだろうねあの手の人って、当時は出川哲朗と松崎しげるを足して割らずに曙のボディに載せたようなキモブタだったのにね

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782: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/19(火) 12:05:52.45
高校の頃から付きまとわれていたストーカーのA子が、義兄の婚約者として
現れた時にはぞっとした(私もA子も女性です)
ストーカーと言っても、いたずら電話やメールなどの嫌がらせを受けた訳では無い。
「あの人の守護霊はとても強いから、私の周りの悪霊を追い払ってくれるの」
という訳の解らない理由でつきまとわれた。
高校に入学してすぐに近づいて来たんだけど、話しかけるでも無く、ニヤニヤ顔で
ただただ傍に居るだけ。
部活が終わるまで教室の外で待ってるし、校門から家の前まで着いてきた。
A子と同じ中学だった子に聞いたら、小学生の頃から霊が見えると自慢げに語り、
意地悪されると「呪ってやる」、誰かが怪我すると「私が呪ったからよw」と
ニヤニヤ笑う姿が不気味で、とにかく気味悪がられていたらしい。
担任が注意してくれたけど効果はなく(直接嫌がらせをされた訳じゃないので
注意以上の事は出来なかったが)「あれは気味悪いよなぁ」と理解してくれて
A子に進学先を漏らさない様、協力してくれた。勿論級友も。
おかげで、無事に別の県の大学へ進学できた。
ちなみに、A子の母親は受験前に「娘と同じ大学に行け、一緒に暮らせ」と家に
突撃してきたようなキチ。
担任にも私の進学先を教えろと詰め寄ったらしい。
幸い父親はまともで、謝罪しに来て、娘を精神科の医者に診せますって
約束してくれたが、大学入学後、アパートの前でA子の姿をみかけたので、
即A子の父親に連絡した。
A子は自分の大学を休んで、私の親友のアパートを張り込み、郵便物を物色して
私の手紙をゲットしたらしい。
この時ばかりはA子の母親も真剣に対応してくれ、父親のコネで強制的に?
入院させたらしく、その後姿を見なくなった。

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749: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/18(月) 21:22:17.90
中学校に入って間もない頃、イジメという程ではないけど同級生とトラブルになってしまった。

私以外の登場人物
A子:中学入学と同時に他地区から転入してきた。私と席が隣同士。
B子:A子と通学路が同じ。私とは小学生の頃、習い事で面識あり。
C子:B子の小学校からの親友。
D君:B子が小学校の頃から好きな男子。隣のクラス。

通っていた中学校は町内の全部の小学校から生徒が集まる学校で、山あいの小さな小学校出身の私は、知ってる人より知らない人の方が多い状態。

でもまあ、それなりにA子、B子、C子と友達もできて、うまくやれてたんだけど、ある日突然B子から
「D君の事好きなの?!好きなんでしょ!」
とかなりの怒り口調で聞かれた。
どうやら、D君が私の事を好きらしい、という噂を聞いたらしい。
D君については、B子が事あるごとに「D君カッコいい」を連発していたから苗字だけは知ってた。ていうか苗字しか知らない状態。
なので
「いやいや、名前しか知らない人の事を好きかどうか聞かれても困るんだけど」
っていうしかないのに、その日から毎日放課後、バス(私の住む地区はバス通学)の時間ギリギリまで捕まって「D君の事好きなクセに」だの「付き合えばいいんじゃない?」だのブチブチ言われた。
この間、A子C子のフォロー一切なし。
とりあえず何日かは耐えて行動を共にしてみたけれど、同じ事をブチブチ言われる面倒くささその他諸々に耐えかねて、B子たちから離れる事にした。

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746: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/18(月) 20:22:49.04
産後二週間で夫に自さつ未遂された時、が一番修羅場だった。
弟が糖質発症して、テレビから受信出来るようになったのに直面した瞬間が次点。
自分に難治性の腫瘍が出来て告知された時のほうがダメージ少なかった。

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735: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/18(月) 18:47:38.70
母親に土下座したのが一番の修羅場かな、母親関連は全部修羅場だけど

私が二十歳になったころ、父親と母親(糖質&宗教信者)が離婚
母親はその頃別の男にアプローチかけられてて、その男が金持ちらしく、
稼ぎがいい=宗教にもっとお布施出来る!で喜んで緑の紙に判を押した
親権は父親になり、私と弟はこれで母親と離れられると大喜び
・・・が、何故か数か月後に母親が引っ越した家の前に立っていた
私には「お父さんが家を教えてくれたのー」と話したが、そうではなく
その数か月の間に水面下で 離婚は不当だと訴え→離婚調停→父親が
住所の届け出→住所を知って押しかけてきた って流れ。男はどうしたorz
宗教の人に吹き込まれ薬を飲んでない糖質患者の相手をしなければならなくなった
しかも宗教の教祖様より父親の方が高次元の魂、という事になっており、
宗教の教えはそのままに、父親に信仰心を持っている糖質。どうしろと
警察は民事不介入、家族なんでしょ?話し合えばわかるよ!状態

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723: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/18(月) 17:54:46.72
交通量の少ない秘境山道で倒れてるバイクを発見。その先にヘルメット被ったおじさんが横たわっていたので車を停めて、大丈夫ですかー?と声をかけ続けていると
「あ、大丈夫です」なんて立ち上がったあとにすぐ転倒。こりゃあやばいぞと救急車っと携帯みたら圏外だったので最寄りのA駐在所にお知らせに行くことに。
とはいえ、放っておくと崖から転落されかねないので何とか車の荷台に載せて駐在所に行ったら、なぜか救急車呼ばずに俺が事情聴取受けることに…
ああ、この人頭相当打ってるから早く救急車呼んだほうがryと言う俺の話も聞かずに、「君はそこで何してたの?何でこんな秘境に来たの?」を十数分。
で、おじさん急に意識喪失。ようやく救急車呼ぶかとなり駐在さんが受話器をあげたときに「バイクはどこに倒れてたの?」と。
倒れた場所を教えると「そこはうちの管轄じゃないよー」と受話器をガチャリ。
ええええええええーーーーーー、救急車呼べよ!!となったが使える電話は駐在さんとこのだけだしってテンパってたら「管轄の駐在へ連絡するよ」と。
電話口で聞こえる話を聞いてると、管轄のB駐在「何でうちの管轄で倒れてた人がそちらの管轄にいるの?おかしくないか?事件性があるね」とか言ってやがる。

そうして1時間半後ようやくB駐在がパトカーで到着。とにかく一人で到着。うん、救急車が来る気配はない。こいつ馬鹿なのか、という俺の言葉を遮るように
「あんた何でこの人こんなとこまで運んだの?あんたの車は凹んでないし、カーブで危ない運転してたんじゃないの?」をまたまた数十分。
この時おじさんはチアノーゼモード。俺は尋問受けまくり、携帯繋がらんし、犯人扱いだし、おじさんの呼吸音聞こえないし。

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725: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/18(月) 18:03:11.83
10年以上昔の修羅場だけど。

職場から家まで、ずっと片側一車線のマイカー通勤。
その日は、見たかったドラマに間に合うかなと走っていたら、前の車が制限速度ギリギリで走ってた。
基本的に、制限速度+5~8km(10kmにはならない)が田舎ルールだったので、「制限速度遵守か、ギリギリだな」と
判断して適当に車間距離を詰めたら、ナンバーが「1」だった。まだ希望ナンバー選択制ではなかった時代。
「…1?」とちょっと不安になり、そろそろと距離を取りながら車種を確認したら、疎い私でもわかるPRESIDENT様。
しかも白、リアガラスはフルスモーク、どう考えても(ryだったので、車間距離はきっちり取って走ってた。

そしたら、追い越し可区間に入った途端、後方からガンガン後続車両を抜いている車が来た。
ミラーで確認しながら、「PRESIDENTの車種とナンバーに気づいてくれよ…」と祈っていた。
対向車が来たためか一旦私の後ろに入ってきた。そのまま少し走って、信号待ちの時に見たら黒のセリカだった。
信号が青になった途端、セリカが私とPRESIDENTをまとめ抜きにかかった(それまでにもやってたっぽい)

「抜くんかい!」と思わずツッコミそうになったら、対向車のライトが見えた。
私は「ここに入れ」とPRESIDENTとの車間を空けたんだけど、セリカはPRESIDENTの前に無理矢理入った。
PRESIDENT、急ブレーキ。私と後続車両は車間距離があったので、ブレーキで済んだ。
その直後、猛スピードで走るセリカを追うPRESIDENT。あっという間に、2台とも見えなくなった。確実に100kmいってた。
道の駅みたいなとこを通りかかったら、そこに白い車から降りたらしい男の人達が、黒い車の運転席と助手席に
片腕をついて威嚇してるっぽい光景が見えた。
Kを呼ぶべきかと思ったけど、怖くて何も見なかったことにしてそのまま走った。
後続車両も3台くらいいたが、止まってなかった。

あの時のセリカはどうなったんだろうと、時々思い出す。
田舎のDQNとはいえ、調子に乗ってやっていいことと悪いことがあるよな…と思う。あの割り込み方は、
PRESIDENTでなくてもブチ切れる入り方だったし。

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720: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/18(月) 16:03:14.04
学生時代に朝から友達と牡蠣小屋に行きその次の日の明け方猛烈な吐き気で起きる
当時の私は牡蠣=ノロというイメージで、単純に牡蠣に当たるという発想がなかった
お腹は壊してなかったからノロじゃない、風邪かなぁと思ってた
その日は丁度大学の試験前最後の授業で、試験範囲を言われるからどうしても授業を休めなかった
昼休みに大学近くの病院へ行くと点滴を打たれる
するとだいぶ楽になり午後からまた授業を受けるが夕方になるにつれ具合が悪化
その日最後の授業を気合で乗り切り、車で帰宅
しかしそのときにはすでに高熱で頭がボンヤリしており三年以上通っているいつもの帰り道で迷子に
パニックになりながらもどこか冷静でiPhoneのマップで現在地を確認してどうにか家に辿り着いた(帰って熱を測ると39度オーバー)
その年は新型インフルエンザが流行と大々的に騒がれていてタヒ人が出るという噂を間に受けて自分の中で新型だったらどうしようと修羅場だった

39度越えで虫の息なのに大丈夫でしょ、と病院に連れてってくれない親で
深夜どうしても耐えれなくて姉に病院へ連れてってもらい結果インフルは陰性
点滴を打たれて薬を出されて終わりだった
ただ後日病院から脱水症状が酷かったがその後は大丈夫かとの確認の電話がきた

ノロじゃなくても牡蠣に当たることがあると聞いて思い出しカキコ
普通に考えれば魚に当たることもあるんだから牡蠣に当たることもあるって分かりそうなもんだけど情弱が故の内心修羅場だった話

長々すいません

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712: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/18(月) 10:07:24.24
大した事ないかも知れないけど個人的には最大の修羅場

小学校の時いじめに遭っていた。といっても言葉でからかわれたり無視されたりする程度の軽いもの。
数は少ないが友達もいたのでそれほど気にしていなかった。

6年生の修学旅行の時にそれは起こった。
旅館に泊まった夜、就寝前に同級生同士で好きな人を教えあうというよくあるお約束のイベントが始まった。
同級生が次々と発表していく中、ついに自分の番になった。
そしてクラスの中で3番目くらいに可愛い娘(以下A子)の名前を言った。

するとそれを聞いた瞬間、自分をいじめていたグループのリーダー(以下B夫)が跳ね起きて部屋を飛び出した。
何が起こったかわからずポカンとしていると女の子の泣き声が聞こえてきた。
かなり大声で泣いていたので教師数人が駆け付けて大騒ぎになった。

後から聞いたら部屋から飛び出したB夫が女子部屋に入り、
俺がA子が好きだという事をクラスの女子にばらしてしまった。
それを聞いたA子はものすごくショックで気持ち悪くて泣いてしまったらしい。

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675: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/02/17(日) 19:51:12.85
修羅場ポイントがいまいちどこかわからないけど、
乗り越えてひと段落ついたので吐き出させてください。


私が8歳の頃から不倫相手の家に入り浸りでほとんど帰って来なかった父。
趣味はパチンコ、競馬、競輪、競艇、給料は全て使いこみ、
たまに帰ってくると、共働きだった母にも金をせびっていた。

14の冬に、同居祖父(父の父)の家庭内セクハラに耐えかねた母が
私と弟(8歳)を連れて夜逃げ→別居、
奴はこれ幸いと堂々と不倫相手と別の町で同居開始。

祖父はすでに父を見限っていたため、私達の賃貸アパートに通って
戻ってくるように何度も訴えてきたが、父がいない家には戻れないと母が拒絶。

それから10年間、父は養育費を払いたくないがために離婚に応じず、
別居状態が続いた。
自分の戸籍謄本を取るたびに自分の下の欄に増えていく、見知らぬ子供の名前。

【認知】○×
【認知】×△

一銭も金を出さないまま音信不通となった父に構わず、
母は昼夜問わず働き続け、私達姉弟を大学まで行かせてくれた。

私24、弟18で扶養から外れた途端に父は離婚に応じた。
その後はまったく連絡がなく7年を過ごした。

で、私31の冬、私達が出て行った家に一人残された祖父がタヒ去。
別居後も祖父が好きで毎月顔を出していた私は、元内孫として一人、通夜に参列した。
葬儀は近親者のみの家族葬。喪主である父自身が実家を捨てて出て行って、
実の父の交友関係など知るはずがないのだから当然だった。

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